詩の海岸~ここは心の断片が流れ着く場所~
「言葉がなくても人は考えることができるのだろうか。」
5歳の私の直感はイエスだった。
中国語、ドイツ語、英語、フランス語、アラビア語、スワヒリ語、古典ギリシャ語、
ラテン語、満州語、オランダ語、サンスクリット語、ヒエログリフ、ヘブライ語、ポーランド語。
たくさんの言語を学んだのは、なんでだったんだろう。
なんだか、学べる限りの言語を学ばないと、
世界のかけらがするりと逃げていってしまうんじゃないかと思ったから。
昼という言葉ができると同時に、夜という時間が生まれ、
天と地は同時に分かれたという。
ひとつながりの世界を、分けても分けても、何もわからない。
私たちは世界の内側から世界の輪郭をなでているだけなのではないか。
成長するにしたがって、私も
「言葉がなければやっぱり考えることはできないだろう。」
なんて思うようになった。
でも、5歳の私は納得しないだろう。
私の作品は、まだ言葉に飼い慣らされていなかった5歳の頃のわたしとの対話を通して、
世界の内側と外側の境に触れていようとする作品である。